London研究日誌

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2008年 06月 20日

大学に勤務するということ(の続き)

大学とは、個人商店の集合体だと思う。

その店主は「教授」と呼ばれる人たち。「教授」には様々な顔がある。教育者として教育を提供し、研究者として研究をする。また、教室の長として経営に携わっている場合もある。具体的には、研究費を集め、部下や学生さんを取りまとめて研究費と仕事を配分して、研究と教育の場を提供する。さらに、大学という組織の管理職の一人として、その運営にも携わっている。

そう考えると、教授ってすごい人だとは思うが、全てができる人がそれほどいるとも思えない。実際、研究はできるが経営が全くできない人、お金は集められるが研究ができない人など、様々な教授を存じ上げている。もちろん、全てができるスーパーマンみたいな方々も何人かは存じ上げているが、実はそれほど多くないのではと思っている。私の現在のボスも非常に優秀な人であるが、全てが出来るわけではない。

これって何かと似ているなと思ったら、日本の病院経営に通じるものがある。日本では、病院の院長は医師として医療サービスを提供し、かつ経営者として病院を経営している。しかし、両方を上手くできる人はそれほどいないと思われるので、経営戦略に長けた専門家が必要ではないかとの議論がなされ、院長を経営戦略面でサポートをする部署が出来たり、そういったコンサルが幅を利かすようになっている、と思う。もちろん、全てが出来るスーパーマンはどの世界にもいるが。なお、病院はそれなりに大きな組織だからこそこういった改革ができたが、個人商店はあまりに小さいので、こういった改革は難しいだろうと思う。

ともあれ、経営の視点?から研究者を見てみると、大学勤務の研究者は、個人商店の店主(教授)になれるまでは、どこかの個人商店で丁稚奉公をする。優秀な人は、丁稚(下っ端研究員)から番頭(講師、助教授)へと昇格し、独自の個人商店を開く機会を狙っている。なお、個人商店の店主の人格や経営に対する考え方は、丁稚や番頭の出世に大きく影響を与える。ずるい店主は丁稚や番頭の成果を全て横取りしてしまい自分の成果にしてしまうケースもあるらしいし、逆に成果を分配してサポートするケースもあるらしい。ただし、成果に関してはどちらかというと個人主義が一般的で、組織としての成果を出すというよりも、個人としての成果を重視する。

いちおう、大学という組織も存在し、経営面から見ると様々な機能が分化した部署もあり、さらにそこには様々な決まりごともある。大学には、数百人から千人以上のスタッフが勤務し、さらに数千人規模のお客様=学生も所属しているので、巨大組織とみなすこともできるとは思う。しかし、研究者を見てみると実態は違う。

あぁ、だから大学で生きるって、元サラリーマンの私には理解しがたい部分があるのかもしれないと感じている。

私はかつてそれなりの大企業にも所属していたし、国際機関も大きな組織だったが、そこでは個人商店的な色はきわめて薄く、組織として機能が分化し、それぞれの部署が(それぞれの社員・職員が)その能力を発揮することによって、組織としての結果を出せばよかった。しかし、個人商店では、組織としての結果を出す機会はあまりなく、個人としての成果が期待されている。これは個人主義で自由だとみなすことも出来なくはないが、やはり個人の能力には限界があるように感じるし、逆に組織として行動すると、個人の限界を超えてもっと大きなものに対して取り組めるように思う。さらに、大きな組織として行動すると、個人の人格や考え方に左右されることが少なくなり、もっと純粋に仕事に取り組めるようになると感じている。ただし、個人商店のほうが良い面もいっぱいある。何よりも自由だし、組織のしがらみに左右されることもない。また、大きな組織であればあるほど様々な手続きが必要になり何をするにも時間がかかってしまうが、個人商店だとそんなことを気にする必要はあまりない。

ということで、個人商店と組織のどちらが良いというものではないと思うが、両方を見てきたものとしては、組織として動くことのダイナミックさやチームワークの楽しさを、個人商店に取り込めたらすばらしいだろうなと感じている。

では、個人商店の集合体である大学に、企業のような組織体の概念を取り込めるのだろうか。個人的には無理だと思っている。偏屈な店主が多いから。。。うわっ大学関係の皆さま、失礼しました。
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by kototora | 2008-06-20 12:39 | miscellaneous


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